「そろそろ(紅葉が)良い時期かもしれません」
なんて言い出したので、2人で行って来ました。森林公園。

着いてみたら、園内はどこもかしこも眩しいほど鮮やかな真緑でしたが。
でも、とっても楽しかった…!
合計5〜6kmは歩いたのかな。もっとかな。
遠く煌く陽射しと、それを受けて色を変える無数の木の葉と。
水を含んだ土の香りと、風が枝を撫でる音と。
くだらない事をポツリポツリ話しながら、そういう中を歩くのはとても心地良いものです。
陽は温かったけど、空気はキリリとした冬の冷たさを孕んでいて、それも気持ちが良かった。
50代くらいのご夫婦とすれ違った時、その背を眺めながら旦那が
「僕らは10年後も20年後もまた、今と同じようにここに来てる気がします」
と言うので
「懲りもせず、早く来ちゃって毎年『紅葉してなかった』って言うんだね」
と返しました。
「そうです、まったく学習しない」
「ついに学習して、ちょっと遅めに来たら、今度は寒くて風邪ひくんだね。君が。私は寒い寒い言ってた割りに元気なの」
「僕は体が弱いまま、あなたは頭が弱いまま、そのままなんでしょうねぇ」
そんなとりとめのない、平和で幸せな話をしました。
歩いている最中、ふと、決して無音ではないのに「静か」で気持ち良いと感じるのはなぜだろうという疑問がよぎりました。よく耳を澄ませた結果、人工的な音がしないせいでは――と思い至りました。
普段、耳にしている生活音 ――車の音、携帯の着信音、人の声などなど―― って、どんなにささやかな音でも、気に留めているつもりはなくても、やっぱり何がしか神経に障っているのかな、と。
「静か」というのは音が無い状態を指しているのではなく、音に煩わされることなく、心が落ち着いている様を指しているんだろうな、なんて事をぼんやり想っていました。
あと、無音に近い状態で、自然の音だけが聞こえるっていうのは「人がいない」という事実を引き立てるんだ、とも感じました。スイカにかける塩のような。
途中立ち寄ったお土産屋さんのテーブルに、色鉛筆と紙が設えてあって
「秋の絵をかこう!」
なんて書かれていたものだから、うっかり夢中になってしまいました。
私が。

旦那は「私が描いている間ヒマだろうから、君も描きたまえ」と強制され、筆を取った次第。
テーマが「秋」じゃなくて「ハロウィン」になってるけど、それはご愛嬌。
先に貼られていた絵を見て空気を読んだ!ということにして下さい。


しかし離れた席で別々に描いてたのに、なんだか似るもんですね。
もっともっと塗り込みたかったのですけど。
旦那に「あどけない子供の絵の中に大人のガチ絵を放り込むとか、どれだけ大人気ないんですかww」とツッコまれたので切り上げました。
気が向いて描き始めると夢中になって「もっともっと」「もっとこうしたい…!」と、なっていきます。
私、絵を描くの割と好きなのかもしれないなぁと思った秋の午後でした。